第36回 「~円を作った佐賀の偉人~ 現代の私たちがなすべきこと」
私たちが当たり前のように使っているお金の単位は円ですが、これはいつできたのでしょうか。歴史を振り返ると明治4年に新貨条例ができて日本の貨幣の単位として円が定められています。しかも、これを作ったのは佐賀出身の大隈重信侯です。それまでは藩ごとに藩札を発行していて、幕府が財政危機を打開するため劣悪な品位の貨幣を発行したこともあって、一般庶民の生活にも大きな困難となってしまっていました。外国と通商するにも通貨に信用が置けなければ圧倒的に不利です。外交にも優れた識見を持った大隈侯は、各国と同じ十進法の通貨円を提案しました。安定した標準としての通貨を持つことによって日本は世界の活力を自らの活力として取り入れるための仕組みを得ていきました。
現代においては、世界はさらに狭くなり、日本も欧米中心の貿易が大きくアジア中心にシフトするなど大きな変化を迎えています。その中でも目覚しい経済成長を遂げているのがインドです。私は、この1月に総務大臣としてインドを訪れました。情報通信大臣・電気通信規制庁長官・新エネルギー大臣などと会談を持ち、日本とインドの間の新しい経済交流・情報通信発展協力などで多くの合意を得ることができました。
世界のICT産業のトップリーダーを数多く輩出しているデサイ・インド工科大学(ハイデラバード校)学長とも会談して、今後は、総務大臣室と学長室をテレビ会議で結んで定期的に技術交流・研究交流を発展させるための話し合いをすることにしました。
昨年もペルーのリマでデジタルテレビの日本方式を南米に広げようという「リマ」宣言を出しました。方式を日本にそろえる事によって、南米だけでなく日本の経済成長にも大きな効果が生まれます。私は、多くの国々と「技術標準・規格」そのものをそろえていく作業を行っています。大隈侯が明治の時代になさった改革と同様の「規格統一」ができれば、私たちは発展するアジアのエネルギーを日本に、そして佐賀に取り込むことができると考えます。
新しい生成発展の基礎は歴史の中にある。歴史を学ぶものは自らの進歩についても学ぶ。佐賀の偉人の業績に多くの学びをいただきます。
写真上/1月6日、デリーにて。サルマ電気通信規制庁委員長との署名式。
写真下/1月8日、ムンバイにて。日印IT懇談会記者会見。
2010年4月号掲載