第20回 「~夢はかなう サガン鳥栖の永久欠番17番」
イタリア、フランスと回りました。市民球団を持つ欧州。「あなたはどのチームのサポーターですか。」と挨拶代わりに言葉を交わします。共通の言語の一つはサッカーだなと思います。
佐賀でもサガン鳥栖が快進撃。悲願のJ1昇格に熱い期待が注がれています。
「サガン鳥栖の活躍を見ることなく天国への早い旅立ちをしてしまった坂田道孝君は今のイレブンの活躍を目を細めて喜んでいることと思います。永久欠番のユニフォームを送って頂いた事は、彼の同窓生として心から嬉しく思いました。サガン鳥栖の試合の折に坂田君のユニフォームをベンチに座らせていただけるとサガン鳥栖の勝利の一翼となってくれるのではないかと思うのですが…。」との手紙がきました。
坂田道孝先生は、サガン鳥栖の前身である鳥栖フューチャーズの立ち上げの中心となられた方です。私は当時県議会議員でしたが、坂田先生の情熱に引っ張られ、クラブの立ち上げをお手伝いしました。市民球団の浦和レッズ誕生を研究したり、スポンサーのお願いにいったりと大忙しでしたが、先生は何十倍もの情熱と行動で夢の実現に走り回られました。
爽やかな笑顔が今でも忘れられません。
Jリーグ発足当時、佐賀に球団ができるなんて本当に夢のまた夢でした。しかし、何とか発足にこぎつけたものの経営は厳しく何度もチームは解散の危機にさらされました。先生は、そんな中ご逝去されました。
サガン鳥栖を何とかしたい。ベンチャー企業経営の井川さんが名乗りを上げてくれて「同級生」同士で夢を語ったのが昨日のことのように思い出されます。
井川さんは市民との約束を守ってくれて、サガンドリームスへの経営譲渡が決定。クラブは解散の危機を免れました。
サガン鳥栖の試合を観戦すると17という背番号をつけたサポーターにたくさん出会います。この17番こそが坂田先生の命日にちなんだ番号、永久欠番なのです。手紙を拝見して涙が止まりませんでした。同級生たちはサガン鳥栖の活躍を坂田先生の面影に重ねて応援していらしたのです。
夢をかなえたいと思います。鳥栖から世界へ。世界のピッチを坂田先生の夢が駆け巡る日も遠くありません。
写真上/9月7日、ベストアメニティスタジアムにてサガン鳥栖を応援。ヴァンフォーレ甲府に対し、惜しくも引き分け。
写真下/同日、母校佐賀西高のファイヤーストームを同級生の仲間と観覧。
2008年12月号掲載