第76回 「医学の租 伊東玄朴と予防・検診の大切さ」
神埼仁井山出身の伊東玄朴は、近代医学の租として知られています。シーボルトよりオランダ医学を学んだ玄朴は、蘭学者としても多くの子弟を養い優れた教育者でもありました。天保4年に開設した蘭学塾象先堂には、多くの人材が集まり、優れた医師・学者・政治家が輩出しました。玄朴のお玉ケ池種痘所は西洋医学所となり、その後変遷を経て東大医学部となりました。
東大医学部・東大病院は、世界でも有数の先進的医療を行う病院で世界から医学を学ぶ留学生も少なくありません。私の出身も佐賀ですというと私たちの基礎を作っていただいた方の土地ですねという言葉が返ってきたこともありました。
今年、鳥栖市に重粒子線施設が開設し、がんをはじめとする難治性疾患に対して治療の選択肢が増え、明るい光がさしています。今年に入って、世界の先端医療、そして日本版NIH(アメリカ国立衛生研究所 最先端医療の研究拠点)創設の機運が盛り上がってきました。人ゲノムの解析などが進み、医療のデータベース化が進めば、旧来では難病とされたものも、あるいは希少なために治療法が見つかりにくかったものにも、新たな治癒の可能性が開き始めています。
先月、東大医学部の先生たちとお話をする機会をたくさんいただきました。検診の大切さ。病気を予め防ぐための心がけの大切さ、そして健康の有難さについても学ばせていただきました。
白衣高血圧というものがあるといいます。診察室に入り医師や看護師を目の前にすると緊張し、血圧が上昇することがあるというのです。それと同じだとは思ませんが、私も検診そのものが大事だと頭では解っていても避けよう、避けようという傾向が強くありました。
「人はそれぞれだ。基準なんてあてになるのでしょうか?
身体の数字は見なければ、心配しなくて済むし、思い悩むこともない。検診などに神経質になればなるほど、病気になりそうだ。」そのように思い違いをしていた時期もありました。「がんなどは、常にできては消えしているという者さえいるではないか。そんなものが見つかるかどうかびくびくするだけでも健康に悪い。検診なんぞは百害あって一利なしではないか。」若い頃は、怖さを言い訳に自分の身体とも向き合おうとしていなかったのかもしれません。
東大病院の中川恵一先生がお書きになった一冊の本「がんの練習帳」という本はまさに目から鱗のような本でした。
扉の文章に「がんはとにかく怖い」そう思っているなら大間違い。今やがんは日本人の2人に1人は経験する病気。怖いのは、がんではなくがんを知らないことなのです。とありました。
がんは、日本人の2人に1人が経験する。それなのに、多くの人にとってがんは見てはならないもの、知ってはならないものになっているのかもしれません。
佐賀県は肝臓がんによる死亡率が全国でも最も厳しい数字が出ています。末期癌の苦しみや恐怖が人々を却って検診から遠のかせているとしたら、それは変えなければなりません。
医学は進んでいます。今では、がんは治らない病気ではありません。早期に発見できれば、むしろ治るものの方が多い病気です。先進国の中では早期発見のお祝いをするところさえあると言います。
「日本人の3人に1人が、がんで亡くなっています。65歳以上の高齢者に限れば、2人に1人が、がんで死亡しています。今やがんの半数以上が治癒する時代ですので、高齢者の大半が、がんになっている計算です。」ともありました。
それなのに、あまりにも私たちはがんを知らないし、がんに向き合おうとしていないのかもしれません。知ろうとしない。知りたくない。自分とは関係ないと思いたいというのは、ある意味で当然なのかもしれません。 しかし、それで治るがんまで治らないのは、極めて残念でもったいないことです。
佐賀が生んだ、医学の租、伊東玄朴の足跡に思いを巡らせながら東大病院を歩いてみました。日頃の健康管理は、自らと自らの身体に正しく向き合うことから始まるという思いを強くした一日でもありました。
写真上1)ニューマネジメントクラブでの講習会
写真上2)巣鴨にて新茶の試飲
2013年8月号掲載